9 雷電
<Raiden>
(J2M3)

旧日本海軍局地戦闘機「雷電」。三菱重工業製。
アメリカのコードネームは「Jack(ジャック)」
本機は、大馬力エンジン「火星」を装備し、20mm機関銃4門を装備した
邀撃専門のインターセプターで、
陸軍の「鍾馗」とコンセプトを同じくした機体である。
ちなみに名前の「雷電」の「電」の文字は、局地戦闘機を表す名称である。
(「雷電」「紫電」「紫電改」「震電」等)
海軍初の局戦は、「零戦」で有名な堀越二郎技師を中心に、
昭和14年9月に「14試局地戦闘機」として開発され、紆余曲折を経て
「14試局地戦闘機”改”」となり、ついに昭和19年10月に制式化された。
 当機を装備していた海軍302空等は華々しく活躍し、主目標のB−29
ばかりではなく、護衛機のF6FやP51等もしばしば撃墜しており、
対小型機戦闘もこなせる事を示した。
「雷電」は「零戦」等と比べると視界が狭い上に離着陸が困難であった為
不評を買ったが、優れた急降下性能や加速性能・上昇力の為、
愛機として駆った操縦士も多かった。操縦性や安定性は抜群で、
他の日本機同様、同クラスの列強機に比べると抜群の運動性能を誇った。

すげぇ久しぶりに一枚絵。
塗り方を気まぐれに、昔ケントボードに描いていた手法にした為、さぁ大変。
時間が掛かる掛かる・・・。いつも通りにすりゃ良かった。
構図は、B29に上からひねり込んで突撃しようとしているシーンですね。
あんなハリネズミの銃眼があるB公に突っ込む時の、パイロットの気持ち
って、一体どんな物なんでしょうね?想像が出来ません。
本当に昔の飛行機乗りは偉大だなぁと思う今日この頃です。


8 屠龍
<Toryu>
(キ-45改)

旧日本陸軍2式複座戦闘機丁型。川崎航空機製。
アメリカのコードネームは「Nick(ニック)」
本機は本来、爆撃機の援護を主任務とする双発複座戦闘機として
開発されたもので、日本海軍の「月光」ドイツ空軍の「Bf110」等と、
コンセプトを同じくする物である。
この「双発長距離戦闘機」の開発コンセプトとは、
爆撃機と共に敵陣深く進入し、
敵の邀撃機を迎え撃つ事であったが、邀撃機というのはこれは
ほぼ間違えなく単発単座の局地戦闘機であって、
これには双発機の機動性能では如何ともしがたく、前述の3機種とも
全て同じ運命を辿る事になる。
しかし航空機の運命と言うものは皮肉な物で、自軍の旗色が悪くなり、
敵の重爆撃機が自陣を攻めて来るようになって、
これらの双発複座戦闘機達に活躍の場が与えられた。
夜間、低空を絨毯爆撃する敵爆撃機に対して忍び寄り、斜め上に機銃を
撃ち上げるいわゆる「斜銃(斜め銃)」の装備で一転、
重爆撃機邀撃機として華々しい活躍を始めたのである。
友軍の爆撃機に随伴する予定だった屠龍は、いざフタを開けてみると
敵軍の爆撃機を迎撃する使われ方をされた訳である。
他の双発複座戦闘機に比べて、群を抜いた運動性能を誇った
「屠龍」であるが、飛行第4戦隊の樫出勇中尉、
飛行第5戦隊の伊藤藤太郎中尉を始めとする大型機撃墜王を
輩出した。又、飛行第53戦隊の空中特攻部隊「震天特別攻撃隊」
(別名カブラ矢隊)等を筆頭とする特別攻撃隊を編成し、日本の防空に
奮戦した。

大分時間が経ってしまいましたが、精密イラストレーション(風)
第2弾とゆ〜訳で屠龍の完成です。屠龍は描く描く言ってて、
もぉ既に3年位経過してる気がします(笑)
この手のイラストは仕事にでもせん限り
ペースが上がらんのかしらん?
ま、手間が掛かるのは否めませんが。
沈頭鋲を一個一個描いてて、気ィ狂いそうになりましたもん(笑)
でも、まぁ、今回は資料も充実してたお陰もあって、まあまあ
納得の出来になりました。塗装の剥がれを表現する前に、
それなりの完成度になったんで、汚すのが怖かったんですが、
やっぱり暗緑色のカラーリングは剥げが無いと物足りないですね。

7 Fw190-D9
Fw190A/F/Gで成功を収めたフォッケウルフ社が既存のフォッケの
泣き所であった高高度性能強化型として開発した未曾有の
高高度戦闘機。それまでのFwは低/中高度の格闘戦を得意としたが、
7000mを超える高高度になると、連合軍のスピットファイアやP−51に
太刀打ちできない事が判明した。そこでルフトバッフェはFw社にFw190
性能向上型の開発を指示した。それを受けたFw社は、後に機体の
名前にもなるクルト・タンク技師を中心として開発に取り組んだ。
エンジンにはJumo213-A-18を使用し、1万メートルで680km/hという
高速を叩き出した。(当機の発展型Ta-152は12500mで760km/h!)
一見星型空冷エンジンの様な体裁であるが、これは水冷エンジンを
グルリと取り巻くように環型冷却気を装備した為である。しかしながら、
この時期に日本軍は液冷エンジン搭載機がことごとく行き詰まり、
空冷エンジンに換装し活路を見出そうとしていた時に、ドイツでは
まったく逆の手段に出ていたのには驚かされる。当機の生産数は
700機そこそこで、残念ながら戦局の挽回の力にはなれなかったが、
その重武装と快速に連合軍パイロット達は当機を「長っ鼻ドーラ」と
呼んで恐れていたという。

いやー、飛行機イラストを描こう描こうと思いつつ、
気が付けば1年以上が過ぎてしまいました(^-^;
今回は、ドイツ機で一番お気に入りの「長っ鼻ドーラ」が描けて
良かったです。Ta-152もスッゲェ美しいんですが
やっぱ、無骨な「ドーラ」が好きですね。但し、今回は
資料が手元に少なくて悪戦苦闘しました。もっと細かく
描きたかったんですが、資料も無しに、いーかげんな仕事は
したくないですし、今回はこれでご勘弁を・・・。

6 97艦攻
<TYPE-97>
(B−5N)

旧日本海軍97式3号艦上攻撃機。
中島飛行機(現:富士重工)製。
アメリカ軍のコードネームは「KATE(ケイト)」。
海軍初の引き込み脚、折り畳み翼、モノコック構造等、
当時の米軍ダグラスTBD等を遙かに凌駕する
世界最高の艦攻として、登場した。
この世界一の艦攻の設計を担当した中島の
スッタフの平均年齢が、20歳そこそこと言うのには驚かされる。
採用と同時に八面六臂の活躍を見せたが、中でも、
真珠湾攻撃が当機の最高の舞台であった事は疑う余地が無い。
戦争中期ともなると、さしもの傑作艦攻も、第一線を退いたが、
後進を「天山」に譲った後も、終戦迄、
連絡機・哨戒機・練習機として活躍した。
イラストは真珠湾攻撃時の空母「赤城」所属の村田重治少佐乗機。

Photoshop第二作目です。コレを描いていて気がついたん
ですが、このソフトは綺麗に仕上がりすぎますね。
そんなことを言ったら、罰が当たりそうですが、
「ウエザリング」が滅茶苦茶苦しい。
上手く汚せないんですね。・・・・、やっぱ腕のせいかなぁ?

5 鍾馗
<Syo−ki>
(キ−44)

旧日本陸軍2式単座戦闘機。中島飛行機(現:富士重工)製。
アメリカ軍のコードネームは「TOJO(トージョー)」。
日本陸軍初の重戦闘機で、太平洋戦争開戦とほぼ同時に
制式化された。当機は、一撃離脱戦法を得意とするいわゆる
迎撃用戦闘機(インターセプター)であり、大出力・重武装・
高上昇率を念頭に設計された。その為、日本軍戦闘機と
しては「頭でっかちな機体に申し訳程度の主翼」という、
特異なスタイルを持つ機体となった。しかし、その徹底した
コンセプトが災いして離着陸スピードが異常に速く(最終進入
速度が200km/h!)それまでの乗りやすい「97式戦闘機」
や、「隼」などの軽戦に慣れた搭乗員には不評を買った。
しかし、一旦空に上がれば、突っ込み加速時の安定性、
射撃時の命中率の良さ、日本軍全戦闘機中No1の上昇力等、
長所の枚挙にいとまが無い程の傑作機であった。陸軍が
行った模擬空中戦では、ドイツのメッサーシュミットBf-109E
よりも優秀であることが証明されており、又、戦後当機を
接収した米軍は、「迎撃機としては日本軍機で最も優秀」と
結論づけている。「鍾馗」は、主に本土防衛に従事しており、
飛行第47戦隊に代表される鍾馗部隊は、圧倒的な物量で
来襲する、米軍戦爆連合を相手に奮戦した。

初めて描いた、正真正銘CGによる戦闘機画です。
今までの3枚は、アクリル画を取り込んだ作品だったの
で、正直コンピューターでどれくらい描けるか不安でした
が、どーにかこーにか描けるみたいなので、安心しました。

4 飛燕
<Hien>
(キ−61)

旧日本陸軍3式戦闘機。川崎航空機製。
アメリカ軍のコードネームは「TONY(トニー)」。
日本陸海軍唯一の水冷エンジンを装備した戦闘機である。
機体構造などの面では、急降下耐性が実に850km/hを
超える等、世界屈指であったが、ダイムラー・ベンツ製エンジン
「DB601」を国産化した、「ハ−40」水冷発動機の不調が
絶えず、前線の兵士は苦労が絶えなかった。しかし、
本土防空戦では、本来の高々度性能を発揮し、小林少佐
率いる飛行第244戦隊を代表する3式戦部隊は、
空中特攻を含む果敢な攻撃を断行。多くの戦果をあげている。

このイラストは、美大の卒業制作のときに描いた代物です。
実寸はB全版という馬鹿でかさで、塗っても塗っても白い
部分が減らないのには、泣かされました。B全のケント
ボードって、2000円位するんですよ、絵の具代だけでも
相当イッてますが(笑)。アクリル画です。


3 疾風
<Hayate>
(キ−84)

旧日本陸軍4式戦闘機。中島飛行機(現:富士重工)製。
アメリカ軍のコードネームは「FRANK(フランク)」。
「大東亜決戦機」の呼び名と共に昭和19年に登場した
重戦闘機。2000馬力を発生する「ハ−45−21」発動機、
(これは海軍では「誉21型」と呼ばれ、「紫電改」にも
搭載された)20mm機関砲x2、13mm機銃x2の重武装、
最高速度624km/hの高速(後のアメリカ軍の試験では
689km/h)と、そのスペックは軍部を狂喜させた。
しかし、緒戦によるベテラン操縦士の不足に加え、資材や職工の
不足によるエンジン不調が重なり、本来の性能を充分に
発揮する事なく終戦を迎えたのは誠に残念である。
戦後、当機を調べたアメリカ軍はその高性能に驚き、
「太平洋戦争に登場した戦闘機で最優秀」としている。
海軍の撃墜王、坂井三郎も当機をアメリカのP−51に次ぐ
世界No2の機体と太鼓判を押している。
まさに「大東亜決戦機」の名に恥じない名機だったのである。

この前部屋を掃除していたら、この絵が出てきました。
なにぶん1995年の作品で少々処理が甘かったので、
photoshopで加筆修正して掲載しました。
疾風といえばこの前、鹿児島の「知覧特攻記念館」に
取材旅行に行き、その勇姿を目の当たりにしましたが、
余りのでかさに圧倒されました。同じく展示されていた
「飛燕」よりもふたまわりは大きかったように思います。
あの大きさなら、アメリカで見たグラマンにもヒケは
取るまいて。アレはアレでメチャでかかったが。
元絵はB3ケント紙、アクリル画です。

2 紫電改
<Siden-Kai>
(N1−K2)

旧海軍局地戦闘機。川西(現・新明和)製。
アメリカ軍のコードネームは「GEORGE(ジョージ)」。
正式名称は紫電21型という。(他に31型等が少数存在した)
公称馬力2000馬力の「誉21型」エンジン、自動空戦フラップ
を装備した本機は、海軍最強の局戦として登場したが、
既にその頃、戦局はほぼ決していた。
ベテラン操縦者も数えるほどしかおらず、華々しい舞台を
用意するには、日本軍は弱り果てていた。ただし、
ベテラン中のベテランを集めた、海軍第343航空隊
(別名、源田サーカス)等の、精鋭部隊は、本土に進入してくる
米航空機を相手に、大戦果をあげ、海軍航空隊の終焉に花を添えた。

えらく古い作品です1992年かな?この頃はエアーブラシ
の魅力に取りつかれていて、色を塗るのが楽しくてしょうが
なかった事を、記憶してます。アクリル絵の具を使って
るんですが、筆とかエアーブラシの掃除が、結構大変なん
ですねコレが。今、photoshopで描いていて痛感するん
ですが、コンピューターって、なんて簡便な絵筆なんだ
ろうと(笑)コレもアクリル画です。(B-3ケントボード)

1 F15J
この機体は有名だから、説明もいらんと思いますが、
今は亡きマクドネル・ダグラス社製の、20世紀最強のファイターと
称される制空戦闘機です。航空自衛隊でも使ってますよね
(JはJAPANのJ)。幅のある主翼を見ると安定性が有りそうですが、
空自のパイロットに聞いたところ「ありゃー恐い、ファントムの方が
乗りやすい」だそうです。見かけによらないもんですねー。
ちなみに、後ろで光ってるのはMig21で、ロシア製の飛行機の中で
、ワシが一番気に入ってる機体です。

このF15、実は空自グレーに塗ろうと思ってたんですが
、手元が狂ってあら不思議、迷彩になっちゃいました。
色彩計画は慎重にしないとイカンですね。
アクリル画です(B-3ケントボード)