ようこそ北原荘へ

4

 

 次の日の放課後、楓は帰宅しようとしていた早苗を呼び止めた。
「あれ?楓部活は?空手部の主将、時間厳守でしょ?大丈夫?」
「う、うん。あ、あの・・・ちょっとさ・・、だ、大事な話・・・・」

「あたしに?」
「う、うん」
「ナニよー、楓らしくないなぁ改まってー」
「ご、ごめん」
「謝らなくてもいいじゃない、で、なに?」
「う、うん・・・・・・、あ、あの・・・・」
言わなければいけない事は一つなのだが、楓の口からは中々それが出てこない。
「?」
「あのさ・・・」
「うん」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「えーと・・・・」
「あー!もぉ!じれったいなぁー。楓どうしちゃったの?」
その時、遠くの方から威勢のいい掛け声が聞こえてきた。
『せいっ!せいっ!せいっ!』
「あー!!楓!空手部の練習始まっちゃってるみたいだよ!!ほら!行かないと!!」
「あ、う、でも」
「デモもストもないでしょ!!もぉー、しょうがないなぁ、
あたしアンタが部活終わるまでここで待ってるよ、ほら、行っておいでよ」
「あ・・・うん、分かった。アリガトね、早苗」
そう言い残すと、楓は右手で『ゴメン』と言いながら、稽古場に走っていった。

 「くらぁー!!!北原ぁぁ!!遅刻とはナニゴトかー!!」
楓が空手部の道場に入るなり、仁王立ちの主将の怒号が飛んできた。
「は、はい!すいませんー!!」
「よーし!言い訳しないのは、お前のイイ所だな!
今日の所は後ろ回し蹴り500回で勘弁してやる!始めーい!!」
「ええええええ!?500ですかぁー!?」
「そぅ、500だ!始めーぃ!!」
「お、押忍!!」
 
 辺りが黄昏に染まり始めた頃に、部活が終わった。
しかし、今日の稽古はツラカッタ。
主将が本気で後ろ回し蹴りを500回もやらせるものだから、
軸足の裏が擦れてしまって、痛くて仕方ない。
奴とはいっぺん勝負してやらねばなるまい、
と、密かに心に誓いながら楓はそそくさと着替えを済ませた。
さて、それはともかく次はもっと大事な用事だ、わざわざ待ってくれている
早苗に今度こそはっきり言おう。本当の気持ちを。
パンパンッっと顔を両手で叩いて、楓は早苗の待つ教室へと向かった。

 薄暗くなった学校の廊下を抜けて、楓は自分の教室に入った。
教室は真っ赤に染まっていて、なんだか幻想的な景色に写った。
早苗は・・・・窓際の机に腰掛けて、窓の外を見ながら音楽を聴いていた。
ヘッドフォンで気配をさえぎられて、教室に入ってきた楓に気づいていない。
物憂げな表情で外を見つめるその表情は、女性の楓でもドキっとする程だった。

なんか妙にドギマギしてしまって楓が声を掛けそびれていると、
早苗の方が楓に気がついた。
「あ、楓。お疲れさん、ほら、ジュース買っといたよ、飲みなよ」
「あ、うん。ありがとう」
3時間以上も待たされたのに、嫌な顔一つしない。
本当に性格のイイ奴だな、と楓は思った。
「で、話って?」
「あ、うん」
「今度は話してくれるんでしょうねー?」
早苗が冗談っぽく笑って言う、そんな無邪気な顔をされるとなんだがホントに言いづらい。
「その・・・檜にぃ・・いや、檜山先生の事なんだけど・・・・」
「え?檜山先生の事!?ナニナニ!?」
意中の人の名前が出て、早苗の顔がパァーっと明るくなる。
楓はついに早苗の顔を直視できなくなってしまって、うつむいてしまった。
「で?で?檜山先生がどうしたの?」
「う、ううん・・・。檜山先生自身の事じゃないんだ。どっちかと言うと私の事」
「ん?」
早苗はちょっと不思議そうな顔をした。
「その・・・昨日は私、なんとも思ってないって言ったよね」
「え・・?檜山先生の事?」
「うん。でも・・・・、アレ、嘘なんだ」
「嘘?」
「そうなの、嘘なの!檜兄ちゃんの事何とも思ってないなんて、嘘!大嘘!」
楓は顔を上げて真っ直ぐ早苗の眼を見た。
「楓、それって・・・」
「好きなの!昔から、ずーっと、ずーっと!!」
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
暫く沈黙が続いた。
「・・・・楓」
先に口を開いたのは早苗だった。
「とにかく、先にお礼を言っとくね、ありがとう」
「え?」
余りに予想外の言葉が早苗の口から出たので、楓は驚いた。
「良かったよ、正直な気持ちを言ってくれて。楓がそんなに好きな人を、そうだとも知らないで
突っ走ったらドンドン楓を傷つけちゃうじゃない、あたしヤダモンそんなの」
「さ、早苗」
「私ね、ほら、男の人ってあんまり興味無かったじゃない。
だから、初恋の人なんだー、檜山先生って」
「・・・・」
「でも、私本気だよ。中途半端な気持ちじゃないもん。
そりゃー、ずっと檜山先生と一緒に暮らしてた楓に比べたら、全然彼の事知らないけどさ」
早苗はスックと立ち上がった。
「だけど、私あきらめない!楓に遠慮して身を引いたら自分に嘘つく事になるもん。
いい人ぶって傷つきたくない」
「・・・」
「だから競争だよっ!どっちが檜山先生のハートをGETするか!!」
そう言うと、早苗は楓に手を差し伸べた。
「よーし!!競争ね!!」
早苗の手を取り固く握手すると、いつもの楓に戻っていた。

 それから2日経った日曜日。
たまの休日の惰眠をむさぼっていた楓の耳に、やかましい音が飛び込んできた。
ガタガタガタ!!
『オーラーイ、オーラーイ!』
『あのぉー、このタンスはここでいいですかー?』
『あ、はーい!いいですよー!すいませーん』
「んんー、ナニよぉーこんな時間から、もぉー」
騒音の主に一言文句を言ってやろうと、部屋を出た楓は信じられない光景を見た。
「あ、楓ー!!おっはよー!あたし今日からここに住む事になったから、ヨロシクねー!」
「さ・さ・早苗?」
「へへへー。檜山先生ココに住んでるんだよね?」
「ま、まさかアンタ早苗!」
「楓だけ一緒だなんてアン・フェアじゃない、それじゃーいつまで経ってもアンタとの差が縮まらないし」
「・・・・・」
早苗は呆然としている楓にそぉっと耳打ちした。
「今日からが勝負だよ☆」
その時、端の部屋から寝ぼけマナコで歯ブラシをくわえた檜が出てきた。
「キャー☆檜山センセー!!おはよーございまーす!!今日からヨロシクおねがいしまーす!」
ダーっと走っていって檜に元気に挨拶をしている早苗を見ながら、
楓はまだ固まっていた。