ようこそ北原荘へ


 「ドタドタドタ!」 けたたましい音と共に、北原荘の朝は始まる。
「ちょっと、いぶきさん!朝よ、朝!こら〜!!梢こずえ!なに爆睡してンの!!」
栗毛の元気な少女が、アパートの静寂を打ち破る。
「う〜ん・・・、もぅちょっと寝かせてよ・・楓かえでちゃん・・・」
長髪のグラマーな美人が眼をこすりながらそう訴える。
その隣に居る幼顔の少女は、騒ぎをよそにまだ寝ている。

 ここは北原荘、いま大声を張り上げている北原楓、
そして爆睡中の妹北原梢の 祖父が営むアパートである。
昭和30年築の古き良き貧乏長屋といった風情だろうか。
ノスタルジックと言えば聞こえはいいだろうが、とても横浜のど真ん中にあるとは
思えない建物である。住人は3人。地元の県立高校と中学に通う北原姉妹と、
航空会社のディスパッチャー(運航管理者)をしている砂倉さくらいぶきである。

 「ああっ!?ちょっと〜!!これじゃぁ完璧遅刻だわ!!もぉ!二人ともさっさと起きてよ!!
だいだいあんた達、なんで私の部屋で寝てる訳!?いぶきさん!ほら、さっさと服着る!!」
昨夜、いぶきは会社の付き合い酒の為に帰ったのは午前様で、
まだ明かりのついていた楓の部屋に酔っ払いオヤジの様に乱入して、
そのまま寝てしまったのである。
「う〜ん・・・、頭がガンガンするわ・・・」
と、何事かゴニョゴニョ言いながら下着姿のいぶきが起きだした。言うまでもなく酒臭い。
「課長がやたらとお酒勧めるのよね。いくらなんでもボトル2本はカンベンだわ」
(飲んだんか?アンタ!?)と心の中で密かにツッコミを入れた楓は、
今度はいまだに シアワセそうな顔で夢の国にロング・ステイ中の妹を
ゴロゴロ転がして起こしに掛かる。
流石は実の姉、妹がちょっとやそっとじゃ起きない事を承知している。
「いや〜ん、なんですかぁ〜?ここはメリーゴーランド?」
などと訳の判らない日本語を口走りながら眠り姫が目を覚ましたのは、
楓の6畳間を2周半した頃だった。さすがの楓も汗だくになっている。
「梢〜あんたね〜終いには、みちのくドライバーかますわよ?」
肩で息をしながら楓は言うのだが、当の梢は背伸びをしながらこう言うのだった。
「あ〜、おね〜ちゃん、いぶきさん、おはようございますぅ〜」(ぺこり)
いつもの事だが、梢のこの調子に楓は腰がくだける。
「もぉ〜、いいからさっさと着替えなさい」
そう言うのが精一杯の楓だった。
 
「う〜、頭痛い〜、楓ちゃんキャベ2持ってない?」
半裸姿でボーっとしていたいぶきが言う。
(なんで高校生の私がキャベ2持ってないといけないのよ?だいたいアレは胃腸薬でしょ!?)
と、心のツッコミ2ndを入れる楓だが、心優しい彼女はそのまま爆睡王の2人を
グイグイ部屋の外に押し出す。
「ほらぁ!さっさと身支度して!みんな行くわよ!」
「!?」
3人が廊下に出た時、ふと洗面所に目をやると、見覚えの無い不審な人物が立っていた。
歯ブラシを口にくわえて上はランニングシャツ、下はGパンといったいでたちだ。
「・・・ランニングシャツ?」
・・・・・・・・・・・・・・・・・
「きゃ〜!!!!誰アンタ!?ち、ち、痴漢〜!!!」
3人はいわゆる半裸の状態である、そこに見知らぬ男が立っていたのだ、
さすがに3人とも羞恥心で顔が真っ赤になる。
女性だけのアパートで、異性に気兼ねせず暮らしていたのだから、尚更である。

 「こ、この痴漢!」 我に返った楓が脱兎のごとく男に駆け寄る。
間合いが縮まったと同時に鋭い正拳突きが男の脇腹に刺さる。
「ぐはっ!?」
楓の奇襲に男がたたらを踏む。当然だ。楓は極真空手の有段者なのである。
よろける男に楓の容赦無いかかと落としが炸裂する。
普通の人間ならここで卒倒してしまう。
それ位楓の技は切れがいいし、楓本人も手ごたえ十分と感じていた。
ところが男は倒れない。慌てた楓はひざ蹴りで相手の上体を起こし、
そこに綺麗に左のジャブを入れた、そして渾身の右ストレートを打ち込んだ。絶妙の1・2!
バシィ!!!
激しい打撃音がしたと同時に楓の表情が凍りついた。男は楓の右手をわしづかみにしていた。
かわされたのだ。そのまま楓は男に引き寄せられた。男の左手が楓の頭部に迫る。
「!!!」
恐怖に硬直した楓は目をつむった。
さわさわさわ・・・
「?」
男は楓の頭を撫でていた、なんで?いや、なんだろう、なんだか懐かしい。
「楓、相変わらずだなぁ、ほら、俺だよ俺」
目を開けた楓はじっと男の顔を凝視する。
「・・・・・・・あ!?」
楓の顔の険が取れてパァっと明るくなる。
「ひ、檜ひのき兄ちゃん!?」

懐かしい感情がこみ上げてくる。幼い時から兄妹の様にして育った仲だった。
空手を始めたのも、檜にくっついて道場に遊びに行っていたのがきっかけだったのだ。
思えば幼い楓は、彼に淡い想いを抱いていたのかもしれない。
楓が中学に進学した時も、檜が一番喜んでくれていた。
そんな楓も、始めての制服姿を檜に見せるのを楽しみにしていた。しかし、それは叶わなかった。
檜は地方の大学に進学する為に、彼女の前から去らなければならなかったのである。
その時の彼女の落胆の仕方は激しく、しばらく食事が喉を通らなかった。
梢が心配してよく慰めにきてくれたのを楓は今でもはっきり覚えている。

 「ただいま、楓。今帰ったよ」
「うん、おかえりなさい、檜兄ちゃん」
「それにしても・・・・」
「ん?なぁに?」
「大きくなったなぁ」
その時楓は思い出した。自分が下着姿だった事を。
「きゃぁぁぁあ!H〜!!!」
バキッ!
楓の掌蹄がモロに入り、檜は卒倒した。


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